あの壁のようにバカでかくて今もなお煙草の匂いと風貌がよく脳裏に焼き付いている大人が教えてくれたのは、実に下らない事と、忍者の真意と、守るべきモノと、生きる事と。

 そして。

 嘘を混ぜ込んだ、真実の。










   『歪めど、現在。』










 ここずっと、まともな任務をしていない気がする。
 実際それは『気がする』でなくて『そう』なのだ。
 その理由がわからない訳でもない。
 こんな、よく言えば情緒不安定、悪く言えば生きた屍がまともに任務をこなす事自体ありえない。
 そう、あってはならない。
 だからこそ新人下忍を纏める担当上忍不在時の、いわゆる非常勤という一定の部署に入れられ、Dランク任務がある度に狩り出される事になっているのだ。
 現在里の忍の人数が極端に少ないので、上忍が高ランク任務の為に狩り出されることがしばしばある。
 故にごく自然にこのポジションにつく事となったのだが、一端の中忍にこんなあからさまに気を使う事は今までなかった筈だ。
 しかし、五代目火影が初の女性ということから女ならではの考えだと言えば皆の納得がいった。詳細を知らない者は、勿論それでいい。

 あの一件以来、いつかは乗り越えられると思っていた感情は思うだけで叶わなかった。
 自分を何度も誤魔化しては笑ってみたのだが、周りの殆どを騙せたとしてもやはり何年来の友人二人だけは騙せないようで、無理はするなだの痛々しいだの言われてしまうから結局は堂々巡りだった。
 我ながらバカみだいだと思う。
 そして未練がましいと思う。
 月日は何もかも洗い流してくれるのではなかったのか。
 それともたった一年では足りないとでもいうのだろうか。
 そんな筈はない。当時は拒食に近かった食欲も、この一年で大分戻ってきた。
 お陰で体重が四キロも減ってしまったのだが、最近ではチョウジ監修の下、やたらとカロリーが高いものを摂取している。
 このまま順調に行けば体重もじきに戻るだろう。
 任務の無い日も一通りの修行はしているしDランク任務だからといって手を抜いた事など一度たりともない。
 いつでも元に戻る準備は出来ている。

 時計を見ると集合時間まであと二時間近くある。欠伸を噛み殺し、朝食の準備を始めた。
 ピロピロと鳥が鳴く声が聞こえる。
 至って平和だ。実にいい事である。
 今日の目覚めは驚くほど良かったし、天気予報では一日中快晴だそうだ。
 いつもは気にも留めない星座占いランキングも乙女座が一位だった。
 ラッキーカラーは茶色と地味だが嫌いじゃないので気にしない。
 おまけに昼までの任務を終えれば久しぶりの二連休が待っている。
 誕生日でも何でもないが、たまにはこういうラッキーデーがあったっていいだろう。
 テーブルに並べたのは今朝炊いたばかりの白米にホウレンソウの味噌汁、納豆に緑茶。
 どうせ昼過ぎには終わる任務だ。
 カロリーが高いものは、何も朝でなくていい。





「じゃあシカマルせんせー、またね!」
「ああ。今度は遅刻すんなよ」
「うん!」

 千切れんばかりに手を振り続ける幼い下忍たちに数年前の自分の姿を重ねると、自分がなんと可愛げの無い子どもだったかがよく解る。
 『先生』。
 そう呼ばれるようになってから随分経つのに、未だに慣れることはない。
 己がまだ十六歳だからという訳ではなく、気恥ずかしさと心苦しさで痛いからだ。
 自分の感性を時折女みたいだと思ったのはもうずっと前の事で、それを引き起こしてくれた張本人もまた『先生』と呼ばれる事が気恥ずかしいようだった。
 自分には向いていない、と。
 柄ではない、と。
 あの太い眉を下げて笑う様を思い出しても苦笑いしか出ないから困る。
 たった三年間がこんなにも日常にちりばめられていたのを思い知らされるから、もっと困る。
 任務が予定より早く終わったので気晴らしに寄り道をして帰る事にした。
 報告書も急ぐ必要はない。夕方までに提出できればそれでいい。
 なんせ、時間はたっぷりあるのだ。

 空を仰ぐと雲がふわりと浮かんでいる。
 当たり前の光景が、こんなにも心地良い。
 幼い頃から常に変わり行く雲を見るのがすきだったのだが、相反して日常を揺るがすものを何より嫌悪した。
 当たり前にあるものが掌から零れ落ちる感覚が嫌だったのだ。
 現状維持を臨むのは女の方が多いと何かの本で読んだ事がある。
 未知の世界を『危険』と判断してそれを遠ざけようとする、本能。
 勿論男にも、というか人間誰しも持ち得る感情ではあるが、それが顕著に現れるのが女だという。

 キバのように行動的な訳では決して無いが、それでも新しい事が何も嫌いな訳ではない。
 思うに、現状維持を臨むのは逃避があるからではないだろうか。
 新しい刺激を受け入れない理由が。
 例えそれが利己的なものだったとしても。

 一時は拒食症にまでなっておいて言うのも甚だおかしな話だが、悲観的に物事を捕らえる事はすきじゃない。
 第一つまらない。
 できる事なら会者定離をプラスの方向に理解したい。

 できるだけ遠回りをしながらつらつらと考えている内に、里から外れた場所にある森の人気の無い、というよりは人の通った痕跡さえ見当たらない、いわゆる獣道に入ってしまっていた。
 考え無しにも程がある。自嘲し、辺りを見回した。
 動物に対する恐怖心は差程ないが、下手に荒らせないので慎重に道を選ぶ。

 カサリ。
 カサリ。

 動物も植物も共存しているこの自然の空間を壊さぬようにゆっくり、ゆっくりと。

 カサリ。
 カサリ。

 ガサリ。

 音がして、振り向いた。
 気配はまるでなかった。

 いつもは気にも留めないのに、今日に限って見た星座占いのランキングは乙女座が一位でラッキーカラーは茶色。
 おまけに昼までの任務を終えた今、残るは久しぶりの連休が待っているのみなのだ。
 誕生日でも何でもないが、たまにはこういうラッキーデーがあったっていいだろう。
 そう、思っていた。

 それなのに。

「…シカマル?」

 正に目の前にいる人物に己の名を呼ばれ、コンマ数秒の間で己の五感を疑った。
 ついでに親しい知人も一通り疑った。
 一癖あるあの上忍も、一応疑った。
 冗談にしては酷すぎる。
 幻術?何の為に?こんな場所で?
 疑問符を並べて整理し、脳内をまさぐる。
 考え得る限りのパターンを羅列し、良質なものだけを厳選。
 そして己が出した答えはきっと間違ってはいないはずだ。

「…何者だ」

 影縛りで四肢を拘束し、喉元に詰め寄る黒い影。
 これは違う。ありえない。
 自分に言い聞かせ、視線を外そうと試みる。
 それなのに引力のように引かれてしまうこれは、いわば呪いの一種に違いない。
 印を組んでも一向に変わらない視界に幻術という可能性をひとまず地面に捨てた。
 気配を探るが目の前のそれと野生動物のものしか感じられず、相手が複数という可能性を落とす。

「オレだ」
「答えろ」
「…オレだ、シカマル」
「答えろ!」

 意識していないのに声を荒げてしまう。
 忍者失格もいい所だ。
 体面を保つために、いっそ白昼夢だったらと思う。

「去年の9月下旬、二度目の対局でお前が先手」
「…何が言いたい」
「7四桂で、詰み。…何なら最初から言おうか?」

 ゆるりと。込めた力が抜けてゆく。
 こんなものが果たして証拠になるのだろうか。

 『死ぬ前までに、もう一回くらいはしときたいな』

 この頼りない記憶が。

 『肺ガンで死ね』

 非公式の戯れが。 

「…どうして」

 不意に、頭の中であの日の棋譜が蘇る。
 忘れる訳もない。
 忘れられるはずが。

 震える。
 手が。足が。声が。
 喉が乾いてヒューヒューと空気が行き来する。酷く苦しい。
 顔を思いきりしかめる。
 酸素を吸いたい。悔しい。
 唇を強く噛んだ。
 鉄の味がうっすらと口内に広がり、やがて唾と共に喉まで侵入してきた。
 それをゴクリと飲み込む。
 しかし、喉は未だに潤わない。
 覚悟を決めたあの日から情けのない顔ばかり見せていやしないだろうか。
 言いたい事は山ほどあったが、口からついて出るものは喜びよりも悲しみよりも広くて深い。

「ここに、いんだよ」

 言葉を投げる。
 疑問と影を纏ったままの。
 その姿は、少なくとも己の記憶のそれと相違ないままの。

「…詳しくは言えないんだが、」

 目の前の。

「とある任務で、ここにいる」





 猿飛アスマに。




















 我等、多大なる咎を背負いし罪深き者也。





 今までに十四回。
 平均して約三ヶ月で一回。
 足しげく通った例の里はずれの森でアスマと接触できた回数である。
 そしてその全てが、こちらからではなくあちらから声をかけ、できた接触だった。
 つまりはこの四年弱、奇妙な生活を送り続けている事になる。
 その間身長も大分伸びたし、体重も平均値になった。
 髭はまだ生やしたくないので毎日手入れを欠かさない。
 大きく変わった事はないが、強いて言うなら毎日が充実していたことだろうか。

 自分は思った以上に単純な人間だった。
 アスマを確認してからというもの、交わした言葉は本物だったし触れた掌の暖かさも生者のそれそのものだった為に嬉しくてむず痒い、言葉にできないくらいに体中が喜んでいた。
 ただこの奇妙な生活を知る者は誰一人としていなかった。
 まっ先にいのやチョウジなどに伝えたかったのだがそれは許されなかったからだ。
 最初に会った日にアスマが言った、ただ一言。

「口外したら、消される」

 記憶を、なのか存在自体を、なのか。
 里の者にすら死んだ事にしておいたほうが都合のいい任務なんて本当にあるのかどうかすら解らなかったが、残念ながらとうに十九になった自分はかろうじて昇格はしたけれどもただの特別上忍だったので、それを追求する事は出来なかった。
 敵を騙すには味方から、なんて言葉があるけれど、自分の存在を無いものとして受け入れた世界に触れるか触れないかの距離で生きていくのはなんて辛いんだろう。

 アスマが見たかどうかは定かではないが、アスマ自身の墓だってあるのだ。
 秋になると毎年墓前で泣き崩れるいのを自分は知っているし、自分の師は一生彼だけだと紅に告げるチョウジも知っていた。
 そして。
 ほんの少しだけ面影を残した、紅との子がいる事も知っている。

 面と向かって墓前に立ったのは一度しかない。
 そんな所にアスマはいないと思っていたからだ。
 ならばどこへ行ったと言われるとどう答えればいいのか非常に困るのだが、とにかくそこにはいないと思っていた。

 そうしたらひょっこり現れた。

 次があるなんて思いもしなかった為に別れるのを酷くためらった一回目。
 また会える、の一言だけを信じて通い詰めた二回目。
 小さな折畳み式の将棋盤を持ち歩くようになったのは四回目以降。
 遭遇する度にどうやって生き延びたのか、何の任務をしているのかを尋ねても『任務上説明する事ができない』の一点張りだったのは最初の五回で、まともな答えが帰ってくるのを諦めたのが六回目。
 身長伸びたなぁ、と言われて少しだけ嬉しかった九回目。
 アスマが生きているならもうそれでいいと、何かが壊れ始めた十一回目。

 そして。

 自分がまだてんで子どもだったと思い知ったのは、十三回目の別れ際。

 明かりの殆どない暗闇の中で、それでもぽつぽつと話す時間は何にも代え難いものだったし、何もしないでただいるだけの時間も金で買えるのならいくらでも払いたいと思う位に必要だった。
 いつからか、何にもしなくていいから、それだけでいいから側にいてほしい、と。
 悔しい位に本気で心から願うようになっていた。

 それでも終わりは必ずやってくる。

「じゃあ…また、な」

 名残惜しそうに頬を撫ぜる太い指。
 そんな風に優しくされると困る。

 ドクリと全身の血管が脈打つ。
 何か言いたいのに上手い言葉がなかなか見当たらなくて呆けているみたいに口が開きっぱなしになる。
 親指が唇に触れる。
 喉に触れる指先だけが、暖かくて冷たい。
 いつかは離れてしまうこの右手を、今更手放す事なんて出来やしないのに。
 そんな事、とっくに分かっていた筈なのに。
 この手を放したくない。
 それは子ども特有の自己愛に満ちた我が儘と残酷なまでの無邪気さと捻くれた独占欲。
 興味のあるものを指差してはこれが欲しいあれが欲しいと親にねだった記憶は数えるほどしかない。
 親の顔色を窺っていた訳ではないが、幼いながらにしてそれほど執着するものがなかったのだと思う。
 勿論欲しいものはあった。
 でもそれは後から考えればなんて事の無いものだったり、待てば大抵手に入るものだった。
 そういう類のものだった。

 けれどもアスマは違う。

 待っていたって手に入らない。
 それどころか物じゃないから手に入れるなんて表現もおこがましい。それは重々承知の上だ。
 それでも欲しいと思った。
 手に入らないならいっそ、なんて事は考えてはいないけれど、そう思っているかと聞かれたらいいやと即答できないかもしれない。
 もう、そんな所まで来てしまっている。

 目の前の腕を掴んだ。
 その己の手はまるで藁を掴むような必死さで、酷く滑稽だった。

 そして十四回目の今日。
 箍が外れた。
 いや、外した。
 分かっている。何を?
 それでも。

 …それでも。

「アスマ、」

 一呼吸置く。
 アスマはもうずっと前から何かを言わないと決め込んだ顔をしている。
 それを教えてくれるほど酷い人間ではなかったから、自分で考えるしかなかった。
 気付くのには二年かかった。
 それを知った上で言わない事に決めてから二年も経った。
 いつの間にかこんなにも時間が過ぎていた。

 でも。

「セックスしよう」

 もう、いい。
 不思議と涙は出なかった。

「…いいけど、」

 夕間暮れだが、表情が読み取れない。
 それでも視線はかち合った。
 暫く無言のまま、互いの眼球を見つめあう。
 少しだけ視線をずらすと太く刻まれた二重は自分よりも泣きそうに揺らいだ。

「後悔するなよ?」

 するはずがない。既に腹は括った。
 首を振ると、少し歩いて小屋のような所に連れて行かれた。
 何年も通っているこの森に、自然と野生という言葉が一番似合うだろうこの森に、あるはずのない物がそこにある。
 今まで一度だってこんな小屋を見た事がないのに、何故。
 そんな疑問はとうに捨てた。
 アスマがここにいる時点で、本当は捨てなければならないものだったから。

 小屋、というには整った小さな家のような建物の中でアスマのサイズにしては少々小さいベッドが奥にひっそりと息を潜めている。
 真ん中には古びたテーブルと椅子が一組寄り添うようにして置かれている。
 一応簡易の暖炉もあるが、置いてある割り木は湿っているように見えるので薪とは言い難い。
 暖炉の横に大量にある割り木も同じ。
 ずっとここに住んでいたかのような内装に多少なりとも驚きはしたが、それもすぐに消えた。
 そして周りを見ない事にした。
 森の中だと思えば電気が通っていないので冷蔵庫がないのは当たり前だ。炊飯器も、電子レンジも。
 だから食器棚や洋服棚、風呂場がないのも小屋なんだから当たり前だ。
 そう思えば、大した問題じゃない。

 生活感があるようで、全くないなんて。
 そんなもの、大した問題じゃあないのだ。










 君の為だなんて押し付けがましい感情はいらないよ。
 ただ欲しいのは、確かな温もり。
 嘘を隠す為に吐いた嘘で身動きが取れなくなってしまった僕を、助けてくれたのはいつだって君だった。
 そんな僕にそこまでしてくれる君は、

 優しい嘘つき。










 すっかり日が落ちた森は異常に薄暗くて、森の奥深いこの場所では月の光なんて届かない。
 薄暗い部屋に灯るランプだけが頼りだ。
 ゆらゆらと火が揺れ、部屋がゆがむ。

 ベッドに二人して並んで座る。
 手招きされたので少しだけ近づく。何もないこんな時間さえ堪らなくすきだ。
 不意に顔を近付け、触れる。
 そういえば一度も唇に触れていない事を思い出す。
 途端、腹の底に溜まっていた欲求がずるりと頭をもたげた。
 どうしようなんて考えることはない。
 そんな時間さえ惜しい。
 触れるだけの唇を一旦離し、甘く鼻を齧った。
 くすぐったそうな顔をして両目を瞑った。

 アスマは角度を代えて深く、今度は舌を差し込んできた。
 生暖かい感触に何とも言い難い気持ちになる。
 ぬるりと絡め、上顎をくすぐられると耳の後ろからぞわりとしたものが背筋まで通った。
 こんな感触は久しぶりすぎてまるで初めてしたような錯角に陥る。
 頭を抱え込むようにして顔を近付ける。
 もっと、もっと深くていい。いっそ溶け合えたら。
 馬鹿みたいに願う。

 がっついているように見えて、実際そうなのだからもう止まらなかった。
 グイグイと貪り勢い余って押し倒したのは自分の方。
 気がついたら以前よりも身長差を感じなくなっていて、どれだけ離れていたのかと思う。
 どれだけセックスをしていなかったのかとも。

 己の服を脱ぎ、適当にそこらに捨ておいた。
 アスマもそれにならって自分の服を脱ぐ。不思議な感覚だ。
 もう一度だけ鼻を齧る。
 アスマの舌が顎を掠めたので、それもおしまい。
 首筋に点々と跡を付けるその痛みが気持ちいい。
 もっと、もっと強くていい。いっそ消えなければ。
 馬鹿みたいに。

 片手で下半身を開くその大きな手に抗う術など持ち得ていないし固より抗うつもりもない。
 ズボンと下着を下ろされ、解放された自身は既にゆっくりと起立し始めている。
 薄い胸板に舌を這わせていたアスマは色付く箇所を弄くり回し、尖ったところを指で押しつぶした。
 硬さを持ったそれが嬲られる度に少しずつ思考が削られていく。
 頭に添えていただけの己の手は気がつけば髪を思いきり掴んでいて上から「痛い」と言われるまで気がつかなかった。

「シカマル、足、開け」

 例えばその声が、深く根付いていたならば。
 低くて太くて、でもドスがきいている訳でもなくて。
 包まれるという表現はあまりに甘えすぎている。
 そんな簡単なものとは違う。
 背筋がぶるりと震える。
 第一に無理があった。
 それはそれは多大なる無理が生じていた。
 一瞬の内に差し込まれた膝の感覚が苦しいほど伝わってくる。
 中途半端に押し付けられたそこは中途半端な刺激しか伝わらず、酷くもどかしい。
 柔く腰を揺すり、自分で刺激を与えると目の前の口角が少しだけ上がった。
 昂揚しているのが自分だけでないと知り、妙なタイミングで安堵する。
 差し込んだ膝が退かされてある程度上下に擦り、完全に立ち上がったのを確認すると、ゆっくりと頭を落として口に含んだ。
 手でされるよりもはるかに生々しくて動物的で情動的なそれに長く耐えられそうにない。
 本心からの言葉ではないのに口からは勝手に嫌だと出てくるし、アスマもそれを知っているものだから止める様子など微塵も無い。
 それでもやはり口からは勝手に嫌だと出てきた。

 被虐者のつもりになる。
 それが加虐者の劣情を煽る。

 割れ目に添ってしつこい位に先端を攻められ、程なくして射精した。
 上がり切った体温で温まったそれは、一気にこの部屋を青臭いニオイで覆う。
 鼻につくそれをアスマの口内に放ってしまったと意識してしまうと後ろめたさに襲われた。
 肺に息を送り込んでいるようで喉でしか息をしていない気がする。
 興奮が止まない。

 向かい合うようにして片方の膝に座らされた。
 萎えたそこは膝に触れるだけでまた少し反応している。
 自分の指を嘗め、ゆるりと後ろに差し入れた。
 ぎゅっと締まったそこを少しずつ解すようにして広げていく。
 手持ち無沙汰なアスマは目の前の耳や肩や腕など、様々な場所を甘噛みしていた。

 喰われる、と思った。
 それは色々な意味を含めて。

 ある程解し終えた所でベッドに移り、四つん這いになって待った。
 早くしてほしい。
 ズボンの中で息苦しそうなそれを先程から見ていたからそう思うほかない。
 この行き場を無くした感情をどこへもぶつける事が出来ずにいたから。
 受け止められるのはただ一人しかいなかったから。

 ギシリとベッドが鳴く。
 背後の気配に堪らず身震いをした。
 それなのに、待っていたものは想像とは別の。
 粘膜。
 生き物のように動くそれはその通りで、生暖かい舌が侵入してきた事がわかった。
 これ以上待ってなどいられない。

「ア、スマ。もういい、から」

 早く。

「慣らさないと」

 そんなこと、どうだっていい。
 少々切れたって構わない。
 それはアスマ以外に体を開いていない証拠の一つとしても受け取ってもらえるだろうから。
 だって本当に、久しぶりなのだ。
 もう二度とこんな風に使う事なんてなかっただろうに。
 そしてもう二度と、こんな風に使う事なんてないだろうから。

「…っあ、も…はや、く」
「やらしいな」

 何を言われたって、今なら全然構わない。
 純粋に、単純に、ただアスマの熱を知りたいだけなのだ。
 言葉に誘われ、やっとの事で凶器が取り出される。
 股の間から逆さになったそれを見、思わず喉を鳴らした。
 腰を掴まれ、熱く宛てがわれたものが埋め込まれる様をじっとりと感じる。
 深く溜息をつく。
 欲しいと思ったものが手に入る事が、こんなにも嬉しい事だったろうか。

 同性間のこの行為は何も生み出さないと本で読んだ。  事実、自分も今までそう思っていた。
 けれども違うのだ。
 心がこんなにも締め付けられ、苦しい。
 痛い。
 それがわかっているのに、触れたい、と。ただ、そう思う。
 感情がこんなにも振れているのに、何も生み出さない筈がない。

 この感情の名前も分かった。

 『切ない』。

 人間はかつて名前がなかった感情一つ一つに名前をつけてはそれに近い気持ちになった時に代用した。
 それはあくまで代用品でそれそのものではなかったけれど、それでも言霊は作用する。
 名前を見つけて脳内でなぞると、涙腺がはち切れた。
 感情的になっているのがわかるのに、頭の片隅で第三者の自分が冷めた目で見ているのがわかるのに、それでももうどうしようもなく頬に顎に流れ鼻を大きく啜った。

 いつから人は声を上げて泣かなくなったのだろうか。
 グッと押し殺して喉で泣くようになったのは。
 泣く事を恥だと思うようになったのは。

 これは恋とも愛とも違うけど。
 すきだとかあいしているとか。
 甘い台詞の一つも言ってやれなかった。
 そんな言葉じゃこの気持ちは表せないと思っていたし、その通りだったから。
 それでも気紛れに言ってやろうと思い立った。
 遅すぎた。
 今となっては繋ぎ留めるようにしか発せないだろう。
 いつだって後悔だらけだ。

 何も言う事などない。
 素直に言えたのはただ『キライじゃない』という曖昧で確実な感情。
 すきとイコールで繋がることはないけれど、こればかりはそれ以上でもそれ以下でもない確実な感情だから。

「ア…スマ、」

 名を呼ぶ。

 唇を合わせるよりも、身体を重ねるよりも、一番身近で深い行為。
 誰一人として変わる事の出来ないその存在を呼ぶ。
 それが例えどんなに近くにいようとも、どんなに遠くなろうとも、いつだって胸の中に在り続けるその存在を確かめるように。

「も、ちっとだけ我慢できるか?」
「…んぅ、っく…」

 肯定の意を表すように頭を縦に振ったが、本当はいつ弾けてもおかしくないくらいに絶頂が近い。
 それでも後ろを確と掴み、快楽で呻く様な声を上げながら前後に揺さぶるその熱を手放したくない。
 ふわふわと浮いた頭でそう思う。
 その一方で、解放しなくてはいけないと心が喚く。

 別々の個体の人間なのだ、自分も、アスマも。
 だから溶け合うという表現方法があったとしても実際は溶けるなんてことありはしないし、こんなに身体をくっつけあっても一つになれる事なんてない。

 知っている。
 だからこそこの行為に意味がある。
 一から十まで一つ一つを咀嚼するように、心を焚き付けるように、激しく、時に優しく触れ合うのだ。
 溶け合う必要などない。
 別個体だからこその意味。

 ギリギリの。
 本当にギリギリの所で突然アスマの感覚が抜け消えた。
 急に失ったその熱を名残惜しげに見やる。
 その本人に向かって何か言いかけたが、すぐに仰向けにされてされるがままだった。

「こっちのがいい」

 脳裏に焼きつけろ。
 今度は、お前が。

 本当にそう言ったのか、幻聴なのか。
 夢か現かわからない。
 それでもそう聞こえたのだからどちらでもよかった。
 そして薄くしか開いていなかった目を、できる限りの力で開いた。
 ランプが消えている事に気付く余裕もなかった。
 力のない両腕を目の前の首に回す。
 ただ、その髭面の恍惚の表情と、形と、空気と、この快楽だけを必死に焼きつけた。

 ただ、それだけ。

「あ…あ…っ、あ……はぁ…っ」

 変則的に早くなるその動きに終止符を。
 零れる喘ぎをアスマが口で覆う。
 臨界点を越えた。
 思考が一瞬停止する。

「…っう」

 程なくして暖かい感覚が下半身に流れた。





 疲れているだろうに、体中の力が抜けた自分を寝かせながら行為の始末をしてくれた。
 ふいに泣きたくなった。
 悲しい訳でも嬉しいわけでも悔しいわけでもない。
 残っているのはほんの僅かなプライドだけで、それすら剥ぎ取ってしまえば剥き出しの本能しか手元には無かった。
 感情に任せて静かに泣いた為、だだ漏れの涙は目尻から耳にかけて跡をつくった。
 それを見てぎょっとし、涙を嘗めとったその体温を惜しむこの感情を。

 どうか許してほしい。




















   それはポロロッカのように溢れる感情。
   空を仰いで礼を言う。





 いつ会えるかもわからないアスマを待ち続けたこの数年、格段に本を読む時間が増えた。
 ミステリー・恋愛小説・サスペンス・歴史小説・伝記・エッセイ・雑誌・ライトノベル・新書・ホラー・文学小説・ノンフィクション、その他諸々。
 知識の泉とはよく言ったもので、様々な擬似体験をした。
 何度も泣いた。
 そして何度も笑った。

 いつかこれも、どこかのカテゴリーに入れられればいい。

「来年、上忍試験受けるんだ」

 着替えながらいつもの様にそれとなく近況を話す。
 頑張れよ、と言う目の色が二、三変わったのがわかった。
 大分アスマの癖がわかってきた。

 演技は割と得意なほうだ。
 特に何事もないように振る舞うのが。

「アスマはさ、いつ帰んの?」
「は?」

 それはアスマではなく、自分。

「元の時間に帰んの、いつなんだ?」

 上忍を出し抜くことが出来たのが最大の収穫。
 来年の試験はそれなりに健闘できそうだ。

「オレ、……ってた…」
「ん?もっかい言って」

 それでもまだまだ未熟だ。
 震える。真実を告げるのが怖い。
 そうだと肯定されてしまうのが。
 思った通りだったと決定付けてしまう事が。

「………ホントは、知ってた…」

 アスマはもうずっと前から何かを言わないと決め込んだ顔をしていた。
 それを教えてくれるほど酷い人間ではなかったから、自分で考えるしかなかった。
 気付くのには二年かかった。
 それを知った上で言わない事に決めてから二年も経った。
 いつの間にかこんなにも時間が過ぎていた。

 解放しよう。
 縛っていたのは自分だった。

「歪みが、あるんだよな。…この森は」
「ひずみ?何のことだ?」
「隠さなくていいよ。オレが気付かねぇとでも思ってた?」

 知識は何も本からだけではない。
 何かと理由をつけて足を運んだ火影室。
 その弟子サクラ。
 知り合いの上忍。
 そして幼い頃より将来火影になると触れ回り、本当にその道を歩みつつある、ナルト。

 火影に就任するのは実力と実績の相応を兼ね揃えていれば年齢は厭わない。
 四代目だって若くして火影となった。
 そしてそのサポートをするのはそれなりに能力に長けた周辺の人物、もっと言えば親しい人物や元スリーマンセルの事が多い。
 支えとはそんなものだ。
 そして、自分はそれに該当する人物だったらしい。
 冗談混じりでお前がいてくれれば、なんて誘われた事があった。
 その金色の真直ぐな蒼を、何故疑う必要があったのだろうと今更ながらに思う。
 本気だったのだ、彼は。いつも。

 そしてそれが五代目の耳に入り、情緒不安定だった自分の精神保護に努め、資質を伸ばす教養を受けさせる為の土台を形成したという訳だ。
 その重大な役割の一つに、必要な存在があった。
 精神不安の根源。
 ひた隠しにしていた密なる関係は火影直下の元、プライバシーもへったくれもない状態まで暴かれた。
 知られたのがその極一部だったのが不幸中の幸いだろうか。

 二十年以上前から使用されていた『時空間忍術』の研究実験で、上忍の一握りのみを対象として一定時間仮死状態にする薬を所持することが義務付けられていた。
 時空間忍術の有効利用で軍事的に有利に立つ為に進められていた計画だったが、第三次忍界大戦後、各国との平和条約を優先する為、いつの間にか闇に消えていたものだった。
それを知るものは戦死して殆どいなかったが、火影一族はその技術と研究資料をいずれまた訪れるであろう戦乱の世の為に残し、暗に研究の続行をしていた。

 時空間忍術の研究としては移動時間の拡大を主として行われていた。
 一秒でも多くがやがて一分でも多くに。
 それが十分、一時間、十時間、一日、一週間…現在では一ヶ月十三日七時間五十分四十六秒が確認されている。
 これだけあれば十分未来へ飛ぶ事ができる。
 未来へ飛ぶ代償として、少しずつ何かを失っていることにも気付かずに。

 暁との戦いで胸を貫かれた後、薬を服用して仮死状態になった。
 出血多量だったのは間違いなかったが、いのの医療忍術で間に合わなくても問題はない。
 駆け付けた医療班はそこからアスマを保護し、時空間忍術で完備された施設に飛ばして最大限の治療を行い、何とか一命を取り留めた。
 一ヶ月しか未来へ行けないという事は、裏を返せば一ヶ月後に行った所から更に一ヶ月後に行くということは可能な訳だ。
 そして都合がいい事に、アスマは死んだ事になっている。
 この好機を利用する手はなかった。
 例え本来は禁忌とされている行為であったとしても。





   色褪せた夢を見た。
   一度きり、





 片耳が少しだけ欠けているこの身体は、紛れもなく雨の中で別れたものと同じだった。

「オレが弱いから……アスマは、無理しなきゃなんなかったんだな」
「違う。これはこの里の…過去の闇の遺産、という名の、」

 帰ろう。もとの時間に。

「汚点だ」

 見守り、励ます。そうすることでシカマルの未来があるというのなら。

「なぁ、シカマル。オレはお前を上役なんかにしたい訳じゃない。オレは酷いヤツだ。オレを思ってお前が壊れるなら、それでもいいと思ってた」

 急に流暢に喋りはじめる自分があまりに滑稽で笑えない。
 あのまま消えちまえばよかった。
 研究という名目で瞬間的に生にしがみついた自分に激しく嫌悪する。
 それでも、会いたいと。

「オレはお前が思ってる以上にお前の事を大事に思ってる。変則的に現れたのは毎日来るように仕向ける為だ。お前を誰にも触れさせたくないと、できるだけこっちを向いて欲しいと思うオレの禍々しいまでの身勝手な願いだ」

 未来のシカマルに会いたいと。

「だから壊れてほしいと思う一方で壊れてほしくなかった」

 願った自分は敗者であり罪人であり身勝手であり。

「オレのいない未来でも、笑っていてほしかった」

 最期の最期で恰好がつかない、道化師だ。

「…そろそろ戻るな。薬を奪いに行くから」

 覚えていてくれなんて言わない。
 無理だ。
 きっと忘れてしまう。
 覚えていたと思っていたのは記憶の中で捏造されていたもので、本当はどんな顔だったかもハッキリと思い出せないだろう。
 だから忘れていい。
 惨めなだけだ。

 それなのに。





   くちづけを





「ありがとう」

 驚いたのは、ごくごく自然に出たからだ。
 釈然としないといえばそうだけれども、それでもやはり出るのはありがとうの言葉だった。

 それはポロロッカのように溢れる感情。
 空を仰いで礼を言う。

 一度目の別れは無理をして笑った。だから今度は。

「…シカマ、」





   交わす





「…じゃあな、アスマ!」

 眉を寄せて目尻一杯に涙を溜めて。
 笑顔で送ろう。

「…お前も、元気で」

 もう会えなくなるけど。
 その内、いつか。

 笑える日が来れば、いい。




















   君がくれた強さ全部 僕の生きる糧になっていて
   いつか分かつ時がきても 僕が生きる限り君は





 本と花束を片手に墓前に立つ。久しい眺めだった。
 刻まれた名を指でなぞり、ポツリと呟く。

「久しぶり」

 秋風が少しだけ寒い。

「そっちはどうだよ」

 一本だけ拝借し、残りの煙草を供えた。

「やっと、追いついたぜ」

 上忍登録証明書を見せた。
 十五歳以来の墓参りだ。
 今後はもっと来てやってもいい。





 本日はとりあえず手始めに。

 バラを供えてやるとする。










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20061024


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