【minestrone】



ギチ、と古びた声で鳴いたため一瞬身体が強張った。
パウリーの部屋にあるものは全体的に古木でできている物が多い。
年代物、というよりはB級品。
そして使い方が悪いのか、所々削れていたり腐っていたりする。

目の前にある椅子はどうやら腐ったことのある兵(つわもの)らしい。
それも一度や二度ではない。
床に接したところから5センチ程度、新しい木片で代用したと見受けられる。
義足になってまでそこに在り続けるお前の理由は何だ?
そうさせたパウリーの真意は?
問うたが答えるはずがない。
ただそこに在り続ける椅子を軽く小突いてやった。

その隣の対になっていると思しき椅子には一応クッションが置いてあるが、明らかにミスマッチしている。
それを退けるとざらざらの面がむき出しになっていて嫌悪感を覚えた。
確かに直に座るには抵抗があるだろう。けれども。
何故そうまでしてこんな椅子を使い続けるのか本当に解りかねる。
こんなボロ椅子、さっさと捨ててしまえばいいのに。

雑然とした部屋を見渡して溜息を吐くのを諦めたのはいつだったか。
以前来た時にカーテンが一部大きく破れていたので買い替えろと言った。
あの時すぐに外したのは見たが、まさかあれ以来ずっとそのままの状態だったというのか。
これではだだ漏れの太陽光が毎日パウリーの家を眺める事となる。
だからパウリーがあんなにも健康的な色をしているのか?
刹那思ったが、それはまた別の話だろう。

足場がないこの部屋で、よくもまぁ住んでいるものだと思う。
仕事や奴の性格を考えると家は寝る為だけにあるようなものだろうが、それにしては、汚い。
比較的物がない自分の部屋と比べれば…いや、比べるのも馬鹿馬鹿しい。
設計上、というかこの島の性質上、この部屋は窓際に行けば下を通るヤガラを眺めながら向かいの住人とそれなりに話ができる距離にある。
一番ドッグのパウリーはそんなぎゅっと鮨詰めになった住宅のたった一角にいる男だ。
ギャンブルと酒で常に金が無いくせ、街からの信頼が厚い男だ。
そんな一市民だ。
街に埋もれ、溶け、馴染み、いずれ消えるだろう自分と少しの時間を共にしただけの、そんな。

一度ベッドの下を詮索してみた事があるが、残念なことに埃と薄く光る髪の毛しかなかった。
そんな、実につまらない男だ。

「おーっし出来たぜー」

ゴーグルを外した薄金がキッチンから覗く。
屈託のない表情を見せられても何一つ揺るがない。
揺るぎなどしない。

「食えよ。うめぇぞ」

差し出された白いスープ皿にトマトとオリーブオイルがふわりと香る。
何を思ったのか、豆、ニンジン、豆、玉ねぎ、豆、といった風に、とにかく豆が多い。
豆が。
何故だ。
もっとこう、パスタとか、ポテトとかを入れることくらい出来たはずだ。
他人の家の冷蔵庫なんぞを心配するのは、恐らくこれが初めてだろう。
銀色のスプーンを手渡されたが、使うのを躊躇った。

「ハットリ!お前も食えよ」

シルクハットをかけておいた椅子の横を止まり木としていたハットリが反応し、机に着地した。
豆だらけの皿を見てクルルと鳴いて何かを訴えて来たが、何も返せない。

『これはなんだポッポー』
「見てわかれよ!まんまだろー」
『わからないから聞いてるんだろうが』
「バカかお前は」
『バカはお前だ』
「じゃー食うな」

言われ、スプーンを手に取った。
口に運ぶと何の事は無い、ただの。

「うまいだろ?な?な?」

ギチ、と古びた声で鳴いたため一瞬身体が強張った。
あの椅子に座ったのだと認識し、あたたかいスープが喉を通る。

食うなと言った割には反応を待っている。
その姿はまるで犬だ。
ハットリにもスプーンを近付け、柔らかい豆を与えた。
一度、二度と啄み、チラとパウリーを見やった。

『普通だ。ポッポー』

パウリーはぶつぶつと文句を言いながら、当たり前のようにあの椅子に座って食べた。
古びてなお部屋の中心にある、あの椅子に。

何が起きてもきっと太陽は毎年健気にパウリーの部屋を照らすだろう。
パウリーは壊れた家具を、腐った家具を、あの男の手にしては丁寧に直して永く永く使うだろう。

何年寄り添って来たかはわからないが、兵よ。
お前にもいずれ朽ちる時が来るだろう。
捨てられる時が来るだろう。
その時、この日も連れて行け。

思い出と共に、今日のこの日も連れて行け。
体温程度に温かい、よく解らない感情を溶かしてしまったこの日を。

お前ならできる。

お前しか、出来ないのだ。



002.椅子 【100題より】
2007/3/5





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