いつだったか忘れてしまうほどそれは遠い遠い記憶。
子ども特有の自己愛に満ちた我が儘と残酷なまでの無邪気さと捻くれた独占欲。
あれから幾度となく春が過ぎ夏が過ぎ秋が過ぎ冬が過ぎたけれど、果たしてそれをどれだけ今も持ち得ているのだろうか。



【merman's voice】



いつだったかを忘れてしまったので勿論理由も忘れてしまった。
けれども確かにあの頃の、あの時の自分はルッチに対して何かを必死に怒っていた。

「ルッチのバカ!もう知らんわい!!」
「…好きにしろ」
「!!」

言われた言葉が憎くて悔しくて苦しくて、本能で叫んだ。

「一生口きかんからな!!」
誰もが一度は使ったであろう『超』とか『一億』とかいう馬鹿げた単位と同じくらい使われる『一生』をこの日初めて使ったのだ、確か。
顔も見たくないとその場をさっさと立ち去って、与えられた部屋に一人引きこもってベッドでひたすら泣きじゃくった。
テンションに任せて泣いてしまった為、途中から本当に何で泣いているのか解らなくなっていたのだが、それでも涙は勝手に出てくるし何より自分を突き放したルッチがどうしようもなく酷い生き物に思えて仕方がなかった。
自分は傷つけられたのだと被害者ぶっていた。

気がつくとどうやら泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。
部屋は薄暗くて外は真っ暗だった。
暗に慣れた目で辺りを見回す。
目の回りが腫れぼったいし、涙が少し乾いてカピカピになっている。
非常に不快感極まりない状態で腹が盛大に鳴ったので、とりあえず食堂へと向かった。

「あら、やっと起きたのね?カク」

カリファは「顔を洗ってらっしゃい」と勧めてくれたのだが、それよりも加害者が気になった。
他にその場にいたのはブルーノと数人の職員だけで、姿が見えない。

「……ルッチは?」
「もう夕飯食べて部屋に行ったわよ」
「……………ワシのこと…」

言いかけて、カリファがブルーノの方を見たので止めた。
何か言っておったか、と続きそうになった言葉は静かに飲み込んだ。
二人の顔を見ればわかる。
ああ、気になどしていなかったか、と。
何もなく、ただ淡々と夕飯を食べたのだろう。
そして何事もなかったかのように部屋に戻ったのだろう。
自分は悟りのいい子どもだとは思っていなかったが、それでも分かった。
そして早急に後悔した。

「とりあえず、食べなさい」

出されたスープの味は何だかよくわからなかった。
パンも腹に残った気がしなかった。
相変わらず、目は腫れぼったいまま。

流し込むようにして食事を終えた後、ルッチの部屋の前までゆっくりと歩いた。
気配はしないが多分本でも読んでいるのだろう。
謝りたいのだが、一生口を聞かないと自分から言ってしまった手前、どうも声をかけづらい。
悪かったと謝ること程気恥ずかしいものもない。
第一何で怒っていたのか忘れてしまった為、自分が悪かったのかすらもわからない。
この扉一枚向こうに当人がいるのだが、扉が鉄で出来ているように重たく存在しているように思えた。
自分の力では到底開けられそうにないほど、重く。
数十分ほど入口をうろうろとしていたのだが、不振に思った職員が声をかけてきそうになったのでこの日は諦めて帰った。

「まだ仲直りしていないのか?」

ブルーノに言われたのはそれから5日経ってから。
あまり他人には干渉しないブルーノが口を開いたのだ、相当居心地が悪いのだろう。
ルッチを見掛けても隠れたり避けたりしていた為、食事の時間に今日までの間2度かち合ってしまった空気は最悪だった。
ルッチは基本的にあまり笑わない方なので黙っていると怒っているようにしか見えない。というか、十中八九怒っているのだろう。
黙々とサラダを食すルッチは何とも恐ろしかった。
フォークが凶器に見えた。
それにどんなに見ても視線すら合わない。
恐ろしくて、悲しかった。

もう、限界だ。

ちっぽけなプライドなんかこの際捨ててしまって、一刻も早くルッチと喋りたい。
笑い合いたい。

食事が終わってから一度自分の部屋に戻って両頬を叩いて気合いを入れた。
そして駆け足でルッチの部屋へ。
考えている暇などないくらい、早く、早く、速く。

未だに重たそうな扉をとりあえず豪快に空けてみた。
少々驚いた顔をしたルッチのテリトリーに潜り込んだ。
ハットリが羽をばたつかせる。
餌を貰っている最中だったのか、機嫌が悪そうだったが仕方がない。 扉は閉めた。
もう、逃げないように。

「ルッ、ルッチ!!」

聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい心臓がバクバクと大きな音を立てていたので自分の声が聞き取れない。
だから負けないくらい大きな声で名を呼んだ。
直視できない為、すでに頭(こうべ)は垂れている。
すぐにでも謝罪の言葉が出て来てくれるだろう。

『…どうした、クルッポー』
「…ヘ?」

聞き慣れない、というか初めて聞く声に一瞬そこにいるのが誰かわからなくなった。
思わず顔を上げたが、そこにいるのは間違いなくルッチ本人だ。
こちらを見ていないけれど。

『オレはメシの途中なんだ、さっさとルッチに用件を言いやがれポッポー』
「…へ?」

バカみたいに口をあんぐりと開けて同じ言葉しか出てこない。
意味が、よく、わからない。
ふわりとルッチの肩に乗ったハットリが羽を巧みに動かし、喋っているようにしか、見えない。

「ハットリ、喋れた…のか…?」
『そんな事はどうでもいいだろうポッポー。オレに……いや、ルッチに用事があるんじゃないのか?』

理解するには7秒必要だった。

ああ、何ということだろう。
ルッチは最初から怒っていなかった。
自分が勝手に怒って、泣いて、避けて、苦しんだ真似事をしていたのだ。
ただただ被害者ぶっていたのだ。

何でもっと早く行動しなかったのだろう。
ルッチは、いつだって待っていてくれたのに。
あんな馬鹿げた言葉を律儀に守ってくれたのに。

「そう、なんじゃ」

涙が出て来た。
何度か袖で拭ったが、意味がなかったので後半は垂れ流した。

「ワシ、ルッチに謝りに来たんじゃ。今更…じゃが………」

ルッチがやっとこっちを見てくれた。
また、涙が出て来た。

「……………………ごめんなさい」

捻り出した言葉は予定より小さすぎてもしかしたら聞こえなかったかもしれない。
けれども。

「お前はバカだな」

抱き締められた体温が酷く暖かすぎて、嬉しくて、胸がいっぱいで、そんなことどうでもよくなってしまった。
暫くしたら頭を撫でられ、ティッシュで鼻をかませてくれた。
ぐじゅぐじゅを包んだティッシュはルッチがゴミ箱に投げ入れた。
その日はルッチの部屋で寝た。
翌日起きたらやっぱり目がカピカピになっていた。

もしあの子どもじみた『一生』を自分が本気で実行した場合、ルッチはハットリを介して喋ってくれようとしていた。
後日聞いた話では、あの時から腹話術をするようになったそうだ。
嬉しくて、恥ずかしい、でもやっぱり嬉しい、一握りの優越感が混じった昔の話。

あれから幾度となく春が過ぎ夏が過ぎ秋が過ぎ冬が過ぎたけれど、未だどれも捨てずにいる。
そしてほんの少し、強くなっている。

声を奪ったのは自分。
離れられないのも自分。

離さないのも、自分。





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